すっかり秋の気配
8月下旬あたありから、秋の気配が感じられる日々が続いていますね。
台風が来たと思ったら、秋雨前線なのか、すっかり雨模様の日々。
久しぶりのブログなので、夏休みあたりを振り返ってみます。
8月8日から16日まで仕事が休みで、海外旅行にでも行けそうな連休。
しかし我が家は一泊二日のドライブ旅行。
4日前くらいにいつもの土壇場予約。
富山の氷見のひなびた漁港にある小さな宿をとりました。
いや~、富山は遠い。
更埴ジャンクションや上越ジャンクションでちょっと渋滞し、2時過ぎに宿に到着。
いろいろなクーポン券をもらい、富山湾クルーズへ。
15時の最終便に間に合い、やれやれ。
カモメが寄ってきます。
宿泊した宿は、温泉宿ではありませんでしたが、客室が7室しかなく、暖かなおもてなし。
部屋からは富山湾が目の前に見えます。
夕食は新鮮な魚介づくし!
これが目的で来たようなもんです。
翌日。
朝日が水平線から登るのが見えます。
宿に居ながら絶景です!
雨晴海岸を見てから、黒部峡谷へ。
トロッコ列車に乗って来ました。
よくぞこんな所に作ったもんだと感心しきり。
最後は親不知海岸で夕日を見て、帰路につきました。
あぁ、日が昇ればまた沈む。
旅行から帰った翌日。
祖母の葬式でした。
5月あたりから寝たきりになり、意識もはっきりしない状態だと母から告げられていました。
しかし、しばらくその状態を維持していたので、日々の多忙でちょっと忘れかけていました。
なんと、旅行に行く前々日に亡くなったと母から連絡。
母は、すぐに葬式をするわけではないから、せっかくだから旅行楽しんで来なさい!と。
葬儀の日程も決まったので、旅行へ出たのでした。
通夜当日。
母を実家でピックアップ後、母の実家へ。
久しぶりに会う親戚たち。
嫌でも、自分自身も、皆も年を取ったことを思い知らされるとき。
促されるように、祖母のそばへ。
10数年ぶりに見る祖母の姿は、私の記憶の中の祖母ではなく、94年の生涯を穏やかに終えた姿でした。
それからは少々記憶が飛び飛びで、
葬儀のとき、全くと言っていいほど見た事無い、おいおいと泣く母を見て、私も心が乱れ、
死というものを目の当たりにしたこともあり、
夏休みの残りの日々の私は、まるで抜け殻のようでした。
いくつになっても「親子」なんだな。
また、粛々と葬儀の喪主を務めた叔父の姿を見て、
真面目に生きてきた「男気」を感じられずにはいられませんでした。
叔父だって泣いていましたから。
改めて、献杯。
台風が来たと思ったら、秋雨前線なのか、すっかり雨模様の日々。
久しぶりのブログなので、夏休みあたりを振り返ってみます。
8月8日から16日まで仕事が休みで、海外旅行にでも行けそうな連休。
しかし我が家は一泊二日のドライブ旅行。
4日前くらいにいつもの土壇場予約。
富山の氷見のひなびた漁港にある小さな宿をとりました。
いや~、富山は遠い。
更埴ジャンクションや上越ジャンクションでちょっと渋滞し、2時過ぎに宿に到着。
いろいろなクーポン券をもらい、富山湾クルーズへ。
15時の最終便に間に合い、やれやれ。
カモメが寄ってきます。
宿泊した宿は、温泉宿ではありませんでしたが、客室が7室しかなく、暖かなおもてなし。
部屋からは富山湾が目の前に見えます。
夕食は新鮮な魚介づくし!
これが目的で来たようなもんです。
翌日。
朝日が水平線から登るのが見えます。
宿に居ながら絶景です!
雨晴海岸を見てから、黒部峡谷へ。
トロッコ列車に乗って来ました。
よくぞこんな所に作ったもんだと感心しきり。
最後は親不知海岸で夕日を見て、帰路につきました。
あぁ、日が昇ればまた沈む。
旅行から帰った翌日。
祖母の葬式でした。
5月あたりから寝たきりになり、意識もはっきりしない状態だと母から告げられていました。
しかし、しばらくその状態を維持していたので、日々の多忙でちょっと忘れかけていました。
なんと、旅行に行く前々日に亡くなったと母から連絡。
母は、すぐに葬式をするわけではないから、せっかくだから旅行楽しんで来なさい!と。
葬儀の日程も決まったので、旅行へ出たのでした。
通夜当日。
母を実家でピックアップ後、母の実家へ。
久しぶりに会う親戚たち。
嫌でも、自分自身も、皆も年を取ったことを思い知らされるとき。
促されるように、祖母のそばへ。
10数年ぶりに見る祖母の姿は、私の記憶の中の祖母ではなく、94年の生涯を穏やかに終えた姿でした。
それからは少々記憶が飛び飛びで、
葬儀のとき、全くと言っていいほど見た事無い、おいおいと泣く母を見て、私も心が乱れ、
死というものを目の当たりにしたこともあり、
夏休みの残りの日々の私は、まるで抜け殻のようでした。
いくつになっても「親子」なんだな。
また、粛々と葬儀の喪主を務めた叔父の姿を見て、
真面目に生きてきた「男気」を感じられずにはいられませんでした。
叔父だって泣いていましたから。
改めて、献杯。
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